碩学の人物評---『水滸伝 虚構のなかの史実』 宮崎市定著
勃然と水滸伝について知りたくなってきたので、新書をあさってみることにしました。
これは昭和47年初版の本。物理的には古い本ですが、内容的にはまったく古さを感じませんでした。
水滸伝のなかのノン・フィクションな部分を取り上げています。
徽宗皇帝と、妓女の李師師のこと。
主人公「宋江」のモデルとおぼしき同名の人物がふたり(将軍と盗賊)存在したこと。
方臘の乱は単なる農民蜂起ではなく宗教的秘密結社=闇商人グループの叛乱だったこと。
宋末における童貫・蔡京といった奸臣の悪政と政治の混乱っぷりについて。
「魯智深・林冲・戴宗・李逵」にみる、地方の軍事組織や小役人の生態について。
「張天師・羅真人」のくだりからうかがえる宋代の道教の大流行。
梁山泊は、黄河の遊水地的役割を果たした湖(清代には埋まってしまった)であり、交通、闇商業の要衝だったこと。
全編おもしろかったですが、印象に残ったのは、宮崎さんの人物評部分でした。
宋江について。
(略)それは宋江という男は、いたって無能な人間で、しかも自分の無能をよく自覚しているから、決して自己の才能を他人と比較したりしない点がいいのだ。人間はなまじいに自己に才能があると、それに自信を持つ。自身を持つと、同じくらいの他人にあった時に、自己への信頼を確かめるために、つい比較研究をしてしまう。もしいつも相手が自分より劣っていると見極めがつけば安心するが、そうでない場合にはつい競争心を起す。そうなると相手の長所が見えなくなったり、或いはその長所がこわくなったりして、もう部下として使うことができなくなるものだ。その点で宋江はこれほど無能な人間は外にいないくらい無能なのである。もしも、歴史上の人物に譬えをとるなら、漢の高祖、劉邦と似たところがある。そして中国は特にこのような種類の人間を好んで高く評価するのである。また実際に世知辛い世の中において、こうした無能で、しかも自己の無能を自覚して決して威張ったりせぬ人間が必要な場合ができてくるのである。
ふむふむ、中国がこういう人間を好む…よく分かりませんが、そうなのかなあという感じ。
次に徽宗。
(略)徽宗という天子は単にまだ年が若いからというばかりでなく、性質として主体性がなく、人の言うことに動かされやすい。人にたよりにされる方ではなく、人をたよりにしたい方である。人から言いふくめられてなるほどと決心しても、別の人にあうとすっかりそれを忘れて、新しく聞いた意見に同調してしまう。…
常に意見が上書き保存な人、いるよなー。
宮崎さんは、徽宗のことがかなり不甲斐ない様子で、李師師との関係や、息子の鉄宗との諍いのことも批判的に書いています。でも、亡国の皇帝ながら稀代の風流人でもある徽宗が、ヘタレで人間味があって、面白い人物であることも確か(宋江よりも、よっぽど)。
なお、わたしの水滸伝体験は、むかし何回か読んだ吉川英治の『新・水滸伝』だけで、あらすじや人物のイメージも大概あやふやになっていますが、今のところ、岩波文庫とか北方さんとかで補完する予定は未定。
- [2009/11/20]
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カタルーニャの詩情---『まぼろしの王都』 エミーリ・ロサーレス著
主人公のエミーリ・ロセルは、バルセロナで画廊を営む男。生まれは、地中海のアランフェス湾沿いの小さな港町サンカルロス・ダ・ラ・ラピタ。父親の無い子供だった。
小さいころ、探検して遊んだ巨大な廃墟群、いわゆる「見えないまち」---学生になってから、それは18世紀の啓蒙君主として知られるスペイン王(兼ナポリ王)カルロス三世が、道半ばにして放棄した王都の建造物の名残りだと知る---の思い出が忘れがたい。
しかしながら、すでに家族もなく、初恋の人アリアドナにまつわるつらい記憶もあり、なんとなく足が遠のいていた。
そんなエミーリのもとに、差出人不明の郵便が届く。王都サンカルロスの建設計画に携わった、イタリア・アレッツォ出身の若手建築家アンドレア・ロセッリの回想記だった。
王命を帯びての、ナポリ・ヴェネツィア・マドリード・サンクトペテルブルグといった各都市への旅と滞在、社交の記録。また、師匠サバティーニの妻チェチーリアとの不倫の恋といった回想記の内容に、エミーリは惹きつけられる。そして、アンドレアが、王宮の装飾画家としてヴェネツィアから招聘された老巨匠ジャンバッティスタ・ティエポロと深く交誼を結んでいたことに興味を持つ。
おりしも、エミーリの元恋人ソフィアが、夫の不始末のために金策に追われ、未発見のティエポロの絵を探し出し、売却しようと画策していた。送られてきた回想記は、その手がかりなのか。いったい、送り主は誰なのか。久々に帰郷したエミーリは、「見えないまち」の世界に入り込んでいく。
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著者ロサーレスは、サフォン『風の影』(集英社文庫)の編集者さんだそうです。
『風の影』、読んだのですが、もう内容はうろおぼえです…。主人公が、少年時代を過ごした街や住人の情景、日々の暮らしぶり、初恋の経緯などを追想しつつ、遠い過去の人間の生を追体験していく…といった構成は、『風の影』も同じ感じだったかな。
描写がリリカルで、感傷的な雰囲気なのも、女出入りや人死にが物語を彩っていたりなのも、なんとなく共通項なような。
カタルーニャもののひと流れ、ってとこでしょうか。
著者がエミーリ・ロサーレス、主人公がエミーリ・ロセル、手記筆者がロセッリ、と似たような名前なのが気になりましたが…、最後まで読んで、わけがわかりました。
- [2009/09/26]
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大発見の人間ドラマ---『世界がわかる理系の名著』 鎌田浩毅著
人類の科学史上において画期的、かつ世間への影響力大で、現在では基本中の基本、常識となっているような説を提唱した理系の書物について、広く浅く、わかりやすく紹介している新書です。
とりあげているのは、以下の本。
◆第一章 生命の世界
ダーウィン『種の起源』/ファーブル『昆虫記』/メンデル『雑種植物の研究』/ワトソン『二重らせん』
◆第二章 環境と人間の世界
ユクスキュル『生物から見た世界』/パヴロフ『大脳半球の働きについて---条件反射学』/カーソン『沈黙の春』
◆第三章 物理の世界
ガリレイ『星界の報告』/ニュートン『プリンキピア』/アインシュタイン『相対性理論』/ハッブル『銀河の世界』
◆第四章 地球の世界
プリニウス『博物誌』/ライエル『地質学原理』/ウェゲナー『大陸と海洋の起源』
誰もが一度は耳にしたことはあるだろう、超有名な人々&著作です。
それぞれ、内容については平易な説明にとどめて、数式やら理論やらにはさほど深入りせず、科学者たちの子供時代や面白(?)エピソード、後続の研究との繋がりや、芋づる本に触れているのが、文系脳にも優しい構成でした。
これらの本は、「名著」と銘打っているだけあって、理系的な新知見を著した専門書といえども、読み物としてたいへんに面白いそうです。卓越した学者は、文章書きも上手で、門外漢の一般人に広く訴える能力があると。
ただ、社会通念や宗教がらみで配慮を要する、過激な理論を展開する時は、わざと迂遠・難解に書き、ケムに巻くこともあるのだとか(笑)
「科学者にはモノ派とスジ派がいる」というくだりは、ナルホドと思いました。
モノ派は、実験・実証を積み重ねて、一次データを取りまくる。(メンデルなど)
スジ派は、脳内で仮説を組み立てたり、一次データからお話を作る。(アインシュタインなど)
理系に限らず、文系でも当てはまりそう。
それから、当たり前ですけれども、ひとくちに優秀な科学者といっても、いろんな人がいると分かりました。
奇人変人天才タイプ、マジメ秀才タイプと大別できるのかもしれません。
そのなかでは、『二重らせん』のジェームス・デューイ・ワトソンが興味深い。頭脳が超一流なのは当然として、若くしてノーベル賞に狙いを定め、ライバルを出し抜くべく緻密に戦略を立て、自らの成功者イメージを現実のものにすべく、わき目もふらず邁進していくという、すごい集中力とバイタリティの持ち主…。
『二重らせん』、読んでみたいと思いました!
- [2009/08/31]
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やはりハムレイ卿---『大聖堂』上中下 ケン・フォレット著(再読)
さきごろ出版された続編を読むために、再読しました(→本館感想)。
棟梁トムの死からの流れが、ほぼ記憶から失せていました。
特に、ジャックの大陸放浪や、彼の実父に関する謎など、そんなこともあったかな〜?と意外に思うほど。
序盤の、トムが仕事を得られず困窮する、アリエナが羊毛仲買人として身を立てる、フィリップが大聖堂建築に乗り出す---というあたりは覚えていて、三者のストーリーがこもごも進んでいくような印象が残っていましたが、実際には渾然一体としていましたね。
そして、いっとう面白いのが、やはりウィリアム・ハムレイ卿なんですよね。
初読時は違ったはず?どんなことを書いたっけ?と見てみたら、みごとに同じだったので笑えました。感性ってそうそう変わらないのね…。
フィリップ修道院長には不倶戴天の仇敵ですけれど、国王の旗本、武装集団のリーダーとしては優秀っぽいウィリアム。伯爵だ騎士だといっても、後世のごとく優雅なものではなく、国王に賜る領地は、ウォルターなど部下の戦士たちを食わせるための狩場でしかない。目端がきけば、領民が富む=自分の収入増という公式がなりたつのに、すがすがしいばかりの”脳筋”ゆえに、短絡的に搾取するよりほか能がない…。
むちゃくちゃに暴れたあとで地獄落ちを恐れるなどしおらしい一面もあったり、なんだか憎みきれないところがあります。
アリエナへの私怨だけは、問答無用にひどいですがね。
醜女の母者レディ・リーガンは頭が切れて、息子と好一対だったので、もっと活躍してほしかったな。
今回、ある意味もっとも印象に残ったのは、「熊いじめ」のくだりでした。
ウィリアムの暴虐行為なんか目じゃないほど---というのは基準がおかしいのかな?読むのがつらかったです。西欧の中世物には頻出の事柄ですけれど、あそこまで詳述しなくても。おかげで、直後のトムの死がすっかり霞みました。
- [2009/08/08]
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中華皇帝の大掛かりな自己主張---『乾隆帝 その政治の図像学』 中野美代子著

《香妃油彩画像》
ジュゼッペ・カスティリオーネ(漢名・朗世寧。イタリア人イエズス会修道士)筆
香妃は、ウイグルの有力氏族ホジャ(和卓)出身の女性。乾隆二十四年(1759)、清軍が西域のジュンガル部・回部(ウイグル)を平定したさい、北京にやってきた投降者のひとりで、翌年、乾隆帝の後宮に入りました。ときに27歳.。皇帝の寵愛深く、離宮巡幸にしばしば伴われた他、紫禁城内にイスラム礼拝堂も与えられていました。
新疆ウイグル自治区の「暴動」のニュースが伝わってきますね。
漢族が鉄パイプを持ってウイグル族を脅すとか、なんともうすら寒かったです。
この本を読んでいたのはたまたまなんですが、んー、絶妙のタイミングというかなんというか。
乾隆帝は、清朝第6代皇帝。1711〜1799(在位1735〜1795)。
本書のテーマは、乾隆帝が、異民族の満族(愛信覚羅氏)の身で、圧倒的マジョリティである土着の漢族を支配せねばならないという特殊事情を抱え、どのような理想の統治イメージを描いていたか、その中華思想を、いかにして宮殿や庭園、美術工藝品のなかにシンボリックに図像化したか、探っていくというものです。
18世紀の皇帝の思考回路や、願望を知ることができて、すごくおもしろかったです。
しかしながら!ところどころ、現代中国への言及があり、それがどうも興ざめで…。
例えば。
60年の長きにわたる治世の間、巨大な権力をふるって清朝の最盛期を演出した乾隆帝は、中国人にたいへん人気があるそうです。
その理由のひとつとして考えられるのが、皇帝が「十全武功」と自画自賛したように、周辺国に外征を繰り返して、支配域を中華帝国史上最大にしたこと。
チベット、モンゴル、ジュンガル、ウイグル、台湾、ビルマ、安南(ベトナム)、グルカ(ネパール)…。
以上のいずれを取っても、今日の中国にしてなお、なんらかの火種をかかえているところばかりだ。新疆ウイグル自治区に、中東イスラーム圏の混乱や紛争が波及してくるのではないかと北京政府はピリピリしているし、中台関係はいうにおよばず、ミャンマーとは、ミャンマー側がいまのところ外交的に孤立しているので、あたらずさわらずの間柄を保っているが、ヴェトナムとは真の友好関係を持続されていたとはいいがたい。ネパールとは?なにしろチベット自治区が北京政府に首ねっこを押さえられ、おまけに肝心のダライ・ラマ十四世(一九三四〜)が一九五九年以来インドに亡命したきり世界をとびまわり、ノーベル平和賞を受賞したり(一九八九)するものだから、チベットと同じラマ教国であるネパールとの関係がよかろうはずはない。ただおもしろいのは、ネパール王家を倒すべく地下活動しているのが毛沢東主義者グループ(毛派)だということで、中国の影響が思わぬかたちであらわれている。
乾隆帝が得意気にいう「十全」は、かくして、二百年あまりたった今日にまで尾を引く近隣外交の発端となったわけで、その意味では、清朝という「中華帝国」を最大限の版図にまで広げた功績は大きい。(p216〜)
ムムム、ここを読んで、非常にモヤモヤしましたね。
「おもしろい」?「功績」?
ダライ・ラマに対する揶揄っぽい書き方も引っかかりました。
2007年の刊行だということは、考慮に入れなければなりません。
さりながら、2008年5月にネパール王制は途絶えてしまったし、同年3月にはチベット市民蜂起がありました。そして現在、ウイグルの「暴動」が起きています。
そんな状況を見るに、とても、領土拡張を「功績」などと前向きな言葉で評価する気にはなれません。
ダライ・ラマに対しては他にも…、
チベットのラマ教には、(略)ダライ・ラマのほかにタシルンポ寺院の住職としてのパンチェン・ラマがおり、ともに仏神(前者は観音菩薩、後者は阿弥陀仏)の化身の転生者がその聖なる地位を継ぐことになっており、たがいにその政治的立場をめぐって対立が絶えない。現在もダライ・ラマ十四世は一九五九年以来インドに亡命しているが、パンチェン・ラマ十一世は中華人民共和国の庇護を受けシガツェで暮らしている。
須弥福寿之廟(引用者注:皇帝の古希祝賀に来訪するパンチェン・ラマのため、タシルンポ寺院に似せて建築された宿舎)の落慶にやってきたパンチェン・ラマは、乾隆帝との会見後、北京に行き、そこで天然痘のため入寂した。ふたりの話題は、政治的に無能なダライ・ラマ八世(一七五八〜一八〇四在位)をどうするか、という問題だったのである。(p166)
というくだりがあったり。
パンチェン・ラマ問題は言うに及ばず、最後の一文は必要だったの?とか、何となく裏読みしてしまいます。
現代中国には触れず、18世紀のお話一辺倒であればよかったのに。
- [2009/07/18]
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