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  本の感想文、手ぬぐい紹介にからめた雑談などを

流れてる?---流水(グリーン)/RAAK 

流水(グリーン)

元気なビビッドカラーのRAAK「流水」。青系、赤系の色違いもあります。水モチーフだから青系一択かと思いきや、この緑系が案外しっくりきます…というか、単なる好みですが(笑)

圧縮された観世水ふうの文様に色がギッチリ塗りこまれていて、パッと見、「流水」には見えづらいです。川床に石がゴロゴロしている浅瀬だとこんなふうでしょうか。流麗な感じを出すには、もうちょっと線の間にゆとりというか、遊びがいるのかな。


尾形光琳をもうちょっと引っ張ります。

光琳描くところの流水文様は、後世、おしなべて「光琳水」と呼びならわしていますが、その完成形とでもいうべきは、光琳最晩年の傑作・国宝「紅白梅図屏風」(MOA美術館蔵)の川の文様ではないでしょうか。

紅白梅図屏風

流水部分 (部分)


二曲一双の屏風の中央部を、大きく小さく、のたうつように威勢よく巻いた曲線が連なっています。きわめて図案化されていて(型紙を用いたとも)、写実寄りに描かれた左右の梅の木とは対照的。そのアンバランスさが、画面に不思議な緊張感を与えています。
画面上部が上流、下部が下流と思われますが、自然に流れ下っているようには見えません。そこここで逆巻いて、重苦しく滞留しているかのようです。

刻の頃は、月夜か払暁、もしくは黄昏。陽光のもとではなさそう。
どことなく、幽冥境を異にした空間のようにも思えるのは、画面を支配する、動きのない透徹した静けさと、暗色に沈む渦の禍々しさのせいかもしれません。

「冥界の川」というと、三途の川とか、ステュクス、アケロンとかが思い浮かぶわけですが、いずれも、渡し守がいて、死者を彼岸の世界に連れて行く---という話ですね。「川の横断」によって、この世とあの世を往来するという概念です。
しかしながら、この「紅白梅図」を見ていると、若い紅梅と老いた白梅という対比は分かるのですが、むしろ、川を流れ下った先があの世なんじゃないか?と思えてきます。

「ゆく川の流れは絶えずして云々」とか、「川の流れのように云々」という表現があるように、往々にして、川の流れは時の経過や生命に喩えられることもあり…。

なんとなく引載。

塔之沢てふ出湯のあたりをみるに 過し頃 宮の君うせ給ひし高殿とて今も残れるに むねふさがり 懐旧のなみだに 袖をしぼり侍りぬ

君かよはひ(齢)とゝめ(止め)かねたる早川の水の流れもうらめしきかな

     (天璋院筆『熱海箱根湯治日記』明治13.10.30条
       静寛院宮(和宮)没地である箱根塔ノ沢の元湯中田家を訪れて)



さて、この屏風に対し、平成15年から16年にかけて、MOA美術館と東京文化財研究所により、ポータブル蛍光X線分析装置による撮影などをはじめとする非破壊・非接触調査が行われました。その結果、屏風の表面に、金箔・銀箔の使用の形跡が認められないという新知見が示されました(『尾形光琳筆 国宝紅白梅図屏風』MOA美術館・東京文化財研究所編 中央公論美術出版 2005)。
従来いわれていたような、背景や水流部分への金銀箔の使用はない。光琳がそれ風に描いた(箔足を描き足した)ものだ---という見解は、大発見として新聞紙上でセンセーショナルに取り上げられ、NHKスペシャル「光琳 解き明かされた国宝の謎」という番組も放送された由(見たかなー?記憶にありません…)。
ただ、修理履歴との照合や、材質の劣化問題、調査データの解釈等をめぐって反論もあり、現在でも、箔使用説は完全に否定されたわけではないということです。

余談:眼福!「対決 巨匠たちの日本美術」展 

東京国立博物館 平成館ではじまったばかりの、創刊記念『國華』120周年・朝日新聞130周年特別展「対決−巨匠たちの日本美術」
調べてみたら光琳の「流水図乱箱」が出ているではありませんか。いきがかり上、観にいくしかありませぬ。
休みも取れたし、いそいそと行ってきました。

惰性で朝、通勤時と同じペースで身支度して家を出たら、東博の正門前に、9時ごろ到着しました。すでに15人くらい並んでおり、その後、9時半の開門までに列がどんどん伸びて、正門前の歩道に収まりきらないくらい---200人くらいにはなっていたでしょうか?

「対決 巨匠」展 (正門から平成館のほうを見る)

さて入場しまして、あまり興味のない(良さが解っていない)、
【運慶 VS 快慶】/【雪舟 VS 雪村】/【永徳 VS 等伯】
のコーナーは、流し見程度で足早にスルー。

【長次郎 VS 光悦】
茶碗はそっちのけで、宗達下絵・光悦書の「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」にかぶりつきました。群れなす鶴の姿のシャープさ。佇む・飛び立つ・舞い降りるといった一連の構図。素晴らしい〜。

【宗達 VS 光琳】
宗達「蔦の細道図屏風」にひたすら感動でした。蔦の葉と土手、金色と緑色の単純な絵なんですが、いつまでも眺めていたい…。なんだか幸せな気分になってきます。
宗達最高。

光琳については、絵画はさほど感心しないのもあるのですが、蒔絵や陶器、着物などの三次元ものになると、ほぼ例外なく好きです。
おめあての「流水図乱箱」も、予想にたがわぬ素敵な作品でした。ケースの周りをぐるぐる何度も回ってしまった…。群青のベタ塗りの部分は殆ど黒に近く、線描の部分は薄くてかすれがち。揺らめく水面が、強い光を反射して暗く見える一瞬をとらえたんですね。側面の菊もおしゃれ。
このコーナーでは、8/11〜8/17に、両者の風神雷神図が並んで展示されるとのこと。きっと、すんごく混むんだろうな〜。

【仁清 VS 乾山】
もっぱら乾山を賞玩しました。仁清の端正な美もいいですが、乾山のちょっとくだけて、可愛げのある感じが好きです。
お気に入りは、「色絵菊図向付」。パレットみたいな形の5客セットのお皿で、外縁の丸みに合わせて菊の花が描かれているのですが、よく見てみると、お花の向きや葉っぱの形状が微妙に違っていて、ほほえましいです。

【円空 VS 木喰】/【大雅 VS 蕪村】スルー。

【若冲 VS 蕭白】
ど迫力作品が並んでいました。スルー予定でしたが、思わず足が止まりました。まじまじと蕭白を観たのはたぶん初めてなのですが、すさまじいばかりの異能の持ち主ですね。どの絵も、夢に見て呻されそうな…。特に「唐獅子図」の激しいタッチにはびびりました。
若冲は、執拗な描き込みっぷりが楽しい。「仙人掌群鶏図襖」の鶏のお尻とヒヨコの愛らしさに注目してしまった…。

【応挙 VS 芦雪】
応挙の「猛虎図屏風」の「虎」の姿かたちと表情がユーモラスで、思わずニヤけ顔に…。また虎のお尻がカワイイんだ。

【歌麿 VS 写楽】/【鉄斎 VS 大観】スルー。


ひととおり観おえた後で、さらに2周しました。
1周目はガラガラでほぼ無人(序盤をスルーしたので)。
2周目も、まだ人は少なくて、フラフラ気ままに歩けました。
3周目になると(10時半〜11時ごろ?)、既にひどく混雑していて、ケースの前を列をなして進まないといけない状態。「蔦の細道」の前のソファでしばしボーッとして、もういちど「菊図向付」の間違い探しをするくらいで出てきました。


展覧会のオリジナルグッズは、期待していたほどではなく…。絵葉書も、ここが欲しいんだよ〜という部分ではなかったりで、あまり買いませんでした。図録も見送り。代わりに、読み物として楽しそうな『対決 ‐ 巨匠たちの日本美術のすべてを楽しむ公式ガイドブック』というのを買ってきました。

買ってきたもの ガイドブックと、「流水図乱箱」の葉書


3周目の喧騒に心が荒んだので、本館に寄りました。行きつけの、1階の工藝品コーナー(13室)。静かで落ちつきます。
特別展にあわせてか、陶磁の部屋に仁清と乾山がありました。

色絵月梅図茶壷 仁清 色絵月梅図茶壷(重文)

「対決展」で出品の「吉野山」(上の看板)にくらべても、いっそう華やかですねー。

和歌短冊皿 乾山 銹絵十体和歌短冊皿

ほのぼのした色味になごみまくり。乾山の書体、癒される〜。
(光琳と合作の「銹絵観鴎図角皿」(重文)もありました)


スルー多すぎで恐縮なんですが、好きな作品をじっくり鑑賞でき、満足して帰ってきました。

ねばる曲線---波兎/CHIKIRIYA(ちきりや) 

きれいな水色の手ぬぐいが続いたので、今回は、色の力に頼らず水を表現しているものを。

波兎


ど派手でイナセなちきりや文様のなかでは、いっとう地味な一本、「波兎」です。

“波兎”というのは伝統的な文様で、その由来はというと、謡曲「竹生島」の一節からとのこと。
てっきり、出雲神話の「因幡の白兎」なんだと思っていました!
確かに波だけで、ワニの背中はありませんねー。

「竹生島」は、醍醐天皇のころ、とある大臣たちが琵琶湖の竹生島に祀られている明神様に参詣に来る。月夜の湖畔で、漁民らしき翁と海女に出会い、その船に乗せてもらうことになる。竹生島の景観に驚嘆しながらお社に到着すると、翁が龍神に、海女が弁財天に変化する---というお話。
一行が、湖を渡って島にあがるときの謡に、こうあります。

シテ「緑樹かげ沈んで。
地「魚、樹にのぼるけしきあり。月、海上に浮んでは、兎も波を走るか。おもしろの島の景色や。


曰く、竹生島に生い茂る樹木の影がくろぐろと湖面に落ち、水中を泳ぐ魚が樹に登っているような錯覚を起こす。月影も水面に浮かんでいるからには、月に住むという兎も湖上を駆け回ることだろうか。趣き深い島の景色であることよ---と。
「魚が木に登る、兎が水面を走る」というのは、漢詩の対句表現としてお決まりのもののようです。


さて、私が手ぬぐいを買うときの動機なんですが、もちろん、文様や柄が気に入って買うのですが、その一方で、「お気に入り---絵画なり、美術工藝品なり、またはお菓子とか(笑)---の品を髣髴とさせる!」という理由で、手ぬぐいそのもののモチーフを度外視して買ってしまうことがあります。

この手ぬぐいも、“波兎”だから目に止まったわけではありませんで…。

風に吹かれて湖岸に打ち寄せてくる水のうねりを、斜め45度くらいから見た感じでしょうか。このゆったりとして、どこか粘り気を感じさせる波の曲線に、ぐぐっと惹かれてしまいました。

何を思い出したのかというと、尾形光琳の「流水図広蓋」(大和文華館蔵)です。

流水図広蓋 (「週刊 日本の美をめぐる 『洗練の極致 光琳と琳派』」より)

金箔で裏張りした布地に群青色で描かれた流水文。橋本治氏は、『ひらがな日本美術史〈4〉』 その六十八 「ジヴェルニーに通じるもの」で尾形光琳を論じたなかで、「線による、曇った日の池の表面」と述べています。
こっちは水面を見下ろした文様だし、手ぬぐいの波には躍動的な飛沫が描かれていますから、似て非なるものではあります。…が、眺めていると何だか体が浮遊してきそうな、悠揚せまらざるぐるんぐるんした曲線に、同じ匂いを感じる!

光琳にはまた、この「広蓋」と対になると思われる作品、「流水図乱箱」(京都民芸館旧蔵/個人蔵)があります。

流水図乱箱 (同上)

橋本氏によると、「面による、晴れた日の池の表面」「たとえば池---そこに日の光が当たってハレーションを起こしている」とのこと。

こちらは、かなり群青が強くて、より粘性が高そう。なんとなく、バケツに張った氷の下で水がタプタプうごめいているところとか、油膜の浮いた水たまりみたいに見えなくもない…。
私は「広蓋」のほうが好きなのでこちらは思い出さなかったのですが、改めて見ると、地色が藍色なので、こっちのほうがテイストは似ているかもー。


ところで、今年は尾形光琳生誕350周年ということで、光琳&琳派関係の展覧会がめじろおしです。これから開催されるもの…。
・10/7〜11/16 東京国立博物館 平成館 「大琳派展-継承と変奏」
・11/8〜12/25 山種美術館 「琳派から日本画へ-宗達・抱一・御舟・観山-」
・12/6〜12/24 MOA美術館 「琳派展(仮称)」

7/8から東博平成館ではじまる「創刊記念『國華』120周年・朝日新聞130周年特別展「対決−巨匠たちの日本美術」にも、光琳・乾山らの作品が出ますね。

空をうつす---さざ波(水色)/かまわぬ 

さざ波

生地が厚めで柔らかく、使い心地では一等賞のかまわぬの手ぬぐい!

この「さざ波」、前エントリの「雨やどり」と同系統の、青の濃淡のぼかしプラス白線ですが、こちらは、短い線が横に入ったかたちです。

芒洋とした遠浅の海(湖かも)の景色。岸から見ると、水深が深くなるにつれて水の色も濃くなっていきます。奥行が感じられて、本当に水平線の彼方を眺めているときのように、思わず遠い目になってしまいます。


天地を逆にして紹介している本もあり、ちょっと悩ましいのですが…。
天地逆 『かまわぬの手ぬぐい使い方手帖』 23p

正面から太陽が照りつけていると、このように、遠くのほうが白く飛んで見えるかな。


近々と寄ると、こういう模様です。
さざ波アップ

不ぞろいでモコモコした白線・・・。この波の表現に、北斎の傑作、通称「赤富士」の空の様子を思い出したり。

凱風快晴 【凱風快晴】

水の色は、空の色。

白線の雨---雨やどり/梨園染 戸田屋商店 

雨やどり

この手ぬぐいは、心の琴線にびんびん触れてきます。
青のぼかしのはかない感じ。
太めの白線で表現された雨すじが、風に流されてか、やや斜めに走って、ところどころで交わっている様子。
下がまっさらに抜いてあるのは、雨粒が地面を叩いてしぶいているのをあらわすんでしょうか。
柔らかな雨の風情がなんとも抒情的。
雨の日に、別にこれといった切ない思い出とてないのですがね…。

筆買ひに行く 一駅の白雨かな   (上田五千石 『琥珀』1992)

「白雨」は、明るい空から降るにわか雨のことで、夏の季語。


この「青の濃淡」と「線状の雨」のテイストからは、安藤広重を連想してみたります。

大はしあたけの夕立 【名所江戸百景 大はしあたけの夕立】

広重の青は、網膜に沁みるな〜。
でも、雨は黒の直線でしたね。一天、俄かにかき曇り、沛然と降りだした驟雨。
(線の極細っぷりと密度を見て、またぞろ、版木職人の腕に感動してしまう)

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