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  本の感想文、手ぬぐい紹介にからめた雑談などを

『罪なき者』 

立ち枯れ寸前のベルエポック芋づる。昨年、読んだまま放置していた作品を、急遽サルベージします。

南イタリア出身の作家ガブリエーレ・ダヌンツィオ(1863-1938)の著作、『罪なき者』(1891)。
罪なき者
罪なき者 (1979年) / 脇 功

ルキノ・ヴィスコンティ監督の映画『イノセント』の原作ですね。

時代的には合っているし、「エイジ・オブ・イノセンス」からの「無垢」つながりで読んでみたはいいものの、

○「イタリア語の魔術師」と賞賛された詩人にして戯曲家にして小説家
○美貌、派手な恋愛沙汰のすえの決闘騒ぎ、ロベール・ド・モンテスキュー伯との交友等が知られる社交界の寵児
○「美の代議士」として政界に進出
○志願して第一次世界大戦に従軍
○戦後、私兵を率いてフュウメに臨時政府を樹立
○イタリア独立、愛国的英雄と称えられる
○ムッソリーニに接近、モンテ・ヴォーゾ公爵位を得る

などといった、モザイクのごとき生涯を送ったダヌンツィオの難物っぷりにタジタジとなってしまい、ベルエポックに絡めて理解するなんてこと、とてもムリ!と匙を投げてしまったので(そもそも、作品世界がベルエポックっぽくないな〜という感もあり)、ぐずぐずとお蔵入りさせてしまったのですよね。

ところが、2007年〈春〉の岩波文庫リクエスト復刊のなかに、ダヌンツィオさんの『死の勝利』があったもので、ニワカにもったいない気がしてきて、引っ張り出してきた次第。
もう、敢えてダヌンツィオの泥沼に踏み込むのは諦めて、作品の紹介のみにしておきますが。


では、あらすじを。

トゥッリオ・エルミルは、自らは浮気三昧でありながら、妻ジュリアーナには不変の貞淑と情愛を期待し、兄妹のような関係を強いている身勝手な男。ジュリアーナが婦人科系の病気を患ったことをきっかけに、改心して愛人と別れ、妻の術後の養生と罪滅ぼしをかね、別邸ヴィッラ・リッラを訪れる。新婚時代の思い出の詰まった美しい邸で、夫妻の愛は復活するかにみえたが、ほどなく、ジュリアーナの妊娠が発覚。身に覚えのないトゥッリオは、妻と新進作家フィリッポ・アルボリオとの密通を確信する。時満ちて、不義の子が誕生---エルミル家の跡継ぎとなるであろう男の子であった。トゥッリオは、憎悪のあまり赤子に手をかける。
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終始、トゥッリオ視点の独白形式で物語が進みます。
延々、彼の自己憐憫に付き合わされるため、少々もどかしい。

読んでいる方としては、妻ジュリアーナの夫への感情や、フィリッポと密通するにいたるまでの心理などにも言及が欲しいのに、あくまでトゥッリオが見、想像する範囲にとどめられています。そのため、ジュリアーナはまるで主体性のない、からっぽな女に見えてしまっています。寂しさも復讐心も、打算も、赤ちゃんに対する愛情もうかがえず、ひたすらトゥッリオの苦痛と憎悪を思いやり、同調しているような具合ですから。
もっとも、トゥッリオが自分に都合のいいように、利己的な解釈しかしていないからなんですけれどね。物足りないし、なんとなーく裏切られるような思いを抱かされてしまいました。

その点、映画『イノセント』は、愛人テレーザを前面に出したり(原作では直接の登場場面はない)、ジュリアーナの心情についてもかなり補完してあって、女性陣の感情の紆余曲折にも目配りし、ドラマ的に深みと膨らみをもたせた作品になっています。
映画のほうが出来がいい。---といってしまっては、身も蓋もないか…。


心おぼえに。
ダヌンツィオはニーチェの超人思想を信奉し、創作上で表現したほか、自ら実践して生きていたとか。
森田草平が翻訳(翻案小説?)を書いているとか。
三島由紀夫が彼に憧れ、生き方をトレースしたふしがあるとか。
こんなことが、筒井康隆の「ダンヌンツィオに夢中」(同名書所収)に書いてありました。

ダンヌンツィオに夢中 ダンヌンツィオに夢中
筒井 康隆 (1996/04)
中央公論社

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