QLOOKアクセス解析
  本の感想文、手ぬぐい紹介にからめた雑談などを

『盲目物語』 

吉野葛・盲目物語 (新潮文庫) 吉野葛・盲目物語 (新潮文庫)
谷崎 潤一郎 (1951/08)
新潮社

この商品の詳細を見る



按摩にして、三味線を弾き隆達節も呻る座頭の弥市が、側ちかく仕えた織田信長の妹・お市の方の境涯を、後年、お客に対してモノローグしたという作品です。

お市の方については、ドラマや小説でもよく取り上げられる女性なので今更贅言を要しないでしょうが、はじめ嫁いだ小谷城主・浅井長政が兄の信長に討滅され、三人の娘とともに里に出戻る。信長死後の跡目争いにおける諸将の思惑から、柴田勝家と再婚して北庄城に移るが、ライバルの羽柴秀吉に攻められ、娘らを城外に逃がし、みずからは勝家とともに自害した。茶々(淀殿)の母---ざっと、こんな感じですか。

本作品は、このお市の方のよく知られた生涯を、弥市の視点からオーソドックスに追ったものです。

内容より、すごいのは文体なんですよね。
こんにち、こういう文章を構築できる人はそうそういないでしょう。
というより、「イロモノ」あつかいされてしまいそう。

ともあれ、この口語体は谷崎研究の重要テーマのひとつになっているようですので、オコがましくも適当に印象をば。

弥市による語り口をそのまま引き写した、という体裁になっています。

さあそのかちいくさのひょうばんが又たいへんでござりまして、このかっせんには三七どの、五郎ざえもんどの、いけ田きいのかみどののめんめんひでよし公とちからをあわせておはたらきでござりましたけれども、なかんずく秀吉公は毛利ぜいとのあつかいをさっそくに埒あけ、十一日の朝にはあまがさきへとうちゃくあそばされまして、そのかけひきのすみやかなることはまことに鬼神をあざむくばかり。(p158)

---たとえば、こんなふうです。秀吉が中国大返しの末、天王山で光秀を討ったというくだり。

この一文もけっこう長いですが、直接話法で人々の会話を再現している箇所などは、もっともっと、牛の涎のごとくだらだらと続くところもあります。
とはいえ、じゅうぶんに整理・計算された文章にはなっています。講演テープの書き起こし等をしてみると分かりますが、人の喋りというのは非常にとりとめがなくて、主語も述語もとっちらかっていて、文章としては破綻していることが多いですもんね。
見方によっては、弥市にとってこの物語は、落語とか、琵琶法師の弾き語る「平曲」のごとく、藝として完成されたひとつの台本を喋っている感覚かもしれません。

また、ひらがなが非常に多いです。目が滑る。通常なら漢字を使用することばでもひらがなに開いてあったりするし、ひとつの文のなかで同じことばが漢字だったり、ひらがなだったりというところがあるのがユニークです。
「かちいくさ」「ひょうばん」など、ひらがなを、文脈から意味を取り、頭のなかでいったん漢字・熟語に直して読まなくちゃならないですね。「おはたらき」「あつかい」「埒あけ」など、戦国ならではの意味を持つ語彙もあったりして。

また、信長や秀吉まわりの出来事や人物を予備知識として持っていないと、「三七」「五郎ざえもん」「いけ田きいのかみ」って誰?「毛利ぜいとのあつかいを…埒あけ」って何のこと?と、いちいち引っかかってしまいます。あまり戦国時代に興味がない人にとっては、付属の膨大な注解を見い見い、あるいは辞書・事典を引き引きしないと、文体を味わうどころではありません。

ハードル高い…。
これって、既に「古文」の域に達しているといえるかも。


さいごに。
按摩としてお市の方の体を長年揉み続け、その繊細な美に感嘆して殉死したいとまで思いを寄せていた弥市。
なのに、炎上する北庄城から茶々をおんぶして逃れる時、その肉体のなまめかしい若々しさをまざまざと背中に感じ、「さすがに奥方様も老けていたんだな〜」などと妄想、コロリと掌を返して茶々に仕えることを切望するにいたった弥市!
さすがというか何というか…。助平なやつだ。

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://granola.blog34.fc2.com/tb.php/91-48e53421

ブログランキング・にほんブログ村へ